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京都再発見

京都・近代化の軌跡  民間企業の興隆と経済人の活躍(その1)
京都・近代化の軌跡

第13回 民間企業の興隆と経済人の活躍(その1)


 琵琶湖疏水建設に全力が注がれている間(1885(明18)年6月起工式~’90(明23)年4月竣工式)にも、京都では近代的事業会社(ただし、この時期にはまだ、日本では会社や企業の概念は固まっていませんでした)が興され、在来産業の近代化や新分野の開拓が推し進められました。その動きは、始めこそ緩慢でしたが、明治20年になるとブームとも言えるほど会社設立熱が高まります。資本主義の道を歩みはじめたのです。これは、実は官営工場(事業)払い下げなど明治政府の産業テコ入れ策にもとづく全国的傾向なのですが、京都ではとりわけ顕著でした。その後も、日清戦争(’94(明27)年7月~’95(明28)年5月)に伴う“戦争景気”により、一段と過熱していきます。ただ、それには国内や世界の情勢変化がからみ、いろいろな問題にぶち当たりながらの展開でした。今回から、明治10年代から30年代にかけての京都の事業会社(民間企業)や経営者の動向をもとに、産業経済の近代化の様相を見てみます。

 京都府が’81(明14)年に発行した『統計表』(調査は’80(明13)実施) に、府下の事業会社(金融を含む)として、銀行5行(国立4・私立1)と一般会社30社が記載されています。銀行については後で触れるとして、会社の方は繊維、貿易、運送、活版印刷など業種が雑多です。資本金額1万円以上の会社を挙げると(多額順に)博覧会社(博覧会の企画・開催、明7設立)、京都七条米商会社(米の売買所、明10設立)、京都名産会社(雑貨品の輸出、明13設立)、同盟社(貸し金業、明8設立、天田郡=現福知山市)、有慶社(回漕問屋、明8設立、加佐郡=現舞鶴市)などとなっています。博覧会社(資本金6万円)は、このシリーズの第4回で紹介した「京都博覧会」の開催機関です。
 「30社」が京都府下に所在する当時の会社総数かどうかは不明ですが、ともかくこの時期、産業(とくに製造業)の担い手は旧来からの個人(または同族)事業がほとんどで、まだ民間企業が業界を牽引していく状況には至っていません。明治19年まで下っても、新規に銀行2行(私立2)と、株式取引所(明17設立)、伏見倉庫(明18設立)、山城製茶京都分社(明19設立)の各社が加わった程度です。
 ところが’87(明20)年になると、資本金1万円以上の会社が一気に18社、設立されています(『京都府勧業統計報告』などによる)。新設会社数・規模は、同時期の全国府県でも群を抜いています。18社の社名・事業・資本金は次のとおりです。
   麦酒末広(ビールの醸造・販売)            資本金10万円
   京都綿糸織物(うんさい織(厚地の綿織物)金巾、洋服地製造)  20万円
   京都柳池織物(生糸による洋服地製造)            10万円
   京都共通織物(生糸・獣毛・綿糸による洋服、ハンカチ製造)  10万円
   京都洋服(洋服製造、付属品販売)              10万円
   第一絹糸紡績(くず糸・くず繭から紡績糸を製造)       20万円
   京都倉庫(倉庫の保管手数料を徴収)              5万円
   西陣機業(ネル織、絹・綿・毛織物の製造)          15万円
   京都製糸(製糸)                      10万円
   第一砂糖(砂糖販売)                    10万円
   京都織物(織・染・撚糸・整理)               50万円
   京都陶器(陶器製造)                    20万円
   関西貿易(織物・陶磁器など京都の特産品の輸出)       50万円
   染殿(染色)                         1万円
   大坂生糸京都分社(製糸)                  10万円
   京都製茶(茶の直輸出)                    5万円
   京都養蚕(養蚕および製糸)                 10万円
   京都電燈(電力供給、電灯設置)                5万円

 ’87(明20)年にこれほどの事業会社、なかでも繊維関係の製造会社の設立が相次いだのは、’82(明15)年から悪化した国内景気が’85(明18)年頃に底を打ち、回復に向かってきたことと、新しい事業展開の条件が整ってきたことによります。
 背景をもう少し説明します。「明治14年の政変」で失脚した大隈重信(おおくま・しげのぶ、1838~1922)に代わり大蔵卿(現 財務大臣)となった松方正義(まつかた・まさよし、1835~1924)は、西南戦争(1877)で悪化した政府財政の立て直しとインフレ収束のため、厳しい緊縮財政、中央銀行(日本銀行)設立・不換紙幣整理、官営工場(事業)払い下げなどを断行します。官営工場(事業)払い下げには、政府の歳出削減とともに、産業のテコ入れという狙いもありました。しかし、緊縮財政や紙幣整理は、繭や米などの国内農産物価格の急激な下落を引き起こし、消費を大きく減退させ、大不況を引き起こします。いわゆる松方デフレです。京都では、西陣織・染物・陶磁器の’82(明15)年の各生産量または金額が、’80(明13)年比で半減しています。輸出も3割方減少したといわれます。
 この松方デフレのまっただ中の’82(明15)年10月に、京都商工会議所が設立されています。商工会議所は、商工業の改善・発展を目的として一定地域内の商工業者で組織する経済団体です(公益団体、現在は「商工会議所法」にもとづき運営されています)。欧米に倣って日本では’78(明11)年)に東京・大阪・神戸の3都市で設立され、その4年後、京都でも発足したのでした。そして京都商工会議所が最初に取り組んだのが、深刻な不況乗り切りのための同業組合結成でした。同じ業種の者同士、互いの足を引っ張り合うのではなく、秩序だった取引と業界振興のために話し合っていこうということです。せっかく、株仲間などによる近世の排他的営業時代から原則自由営業・自由競争の近代資本主義時代に移ったにもかかわらず、そうした対策を選択せざるをえなかったことは皮肉と言わざるをえません。
 厳しい経済状況は全国的に数年続きますが、’86(明19)年に海外の銀相場の急落によって銀本位制だった日本の通貨も下落し(つまり輸出が有利になり)、生糸などの輸出量が増加に転じたことで、ようやく回復に向かいます。松方による不換紙幣整理も一段落したので、新たに会社を興そうという気運が高まったと思われます。とくに、政府が育成に力を注いでいた繊維産業、中でも製糸(生糸)・紡績(綿)業種での会社設立が盛んでした(これが日本における第一次産業革命の基盤となります)。また、鉄道事業にも投資が集中しました。

 ちなみに、事業を始めるには資金と労働力が必要です。明治初期、事業会社に先立って銀行が設立されたのは、まさに殖産興業のために資金供給を行うためでした。政府は’72(明5)年、国立銀行条例を制定し、国立銀行の開設を奨励します。ここで言う「国立銀行」は、金貨との交換を保証した兌換紙幣の発行権を与えられた民間銀行です。ただ、政府の狙ったほどカネ(兌換紙幣)が供給されなかったため、’76(明9)年に不換紙幣の発行も認め、国立銀行開設を促しました。さらに、会社の資金を銀行に頼るだけでなく、直接的に調達できるようにするため、’78(明11)年に東京と大阪に株式取引所を設立しています。京都での株式取引所開設は’84(明17)年です。この時期、労働力についても、松方デフレによる自作農崩壊の結果、“調達”が容易になり、製造会社の設立条件が整ったのでした。それらのもと、大阪では日本最初の大規模紡績工場、大阪紡績会社〈現 東洋紡績株式会社〉が設立され、’83(明16)から操業を行っています。

 ここで、上記の’87(明20)年に設立された会社から、いくつかを具体的に紹介します。
●第一絹糸紡績
 つむぎ糸や真綿にするしかなかったくず糸・くず繭を、紡績糸として生かすために設立したのが第一絹糸紡績です。群馬県で’77(明10)年から操業しているくず糸紡績所をモデルにしています。開業は’90(明23)年。
●京都織物
 京都の織物・染色業は、京都府の勧業政策のもと、全国にさきがけ洋式の染織法を取り入れました。その実績を踏まえ、大規模な洋式設備を有する織物会社を設立しようとの計画が民間で持ち上がり、渋沢栄一ら東京の実業家も巻き込んで1887(明20)年5月に設立されたのが京都織物です。工場は荒神橋東詰の川端通に面した府の払い下げ地(官営牧畜場跡)に建設され、設備なども織殿(官営模範工場)の払い下げでした。操業は’90(明23)年から。’93(明26)年の商法施行に伴って京都織物株式会社となり、取締役会長には渋沢が就任しました。同社は永らく事業を続けましたが、業績悪化により1968(昭43)解散しました。
●京都陶器
 京都陶器会社は1887(明20)年、京焼・清水焼の海外輸出を狙って設立されました。工場制による量産方式を取り入れましたが、伝統的な京焼の生産とあいいれず失敗、’92(明25)年には早くも解散に追い込まれました。
●関西貿易
 関西貿易は、織物・陶磁器など京都の特産品を輸出する目的で設立されました。本店を三条御幸町西、支店は大阪・東京・名古屋をはじめ、上海・ロンドン・マンチェスター・ニューヨークなど海外にも置きました。取引高を年々伸ばし大貿易会社に成長しますが、1901(明34)年の恐慌で経営破綻、解散のやむなきに至ります。
●京都電燈
 京都電燈は1887(明20)年に設立準備が進められ、翌’88年に創立された、電力供給・電灯設置を事業目的とする会社です。営業開始は’89年で、高瀬川西岸の会社敷地(備前島町、京都府からの払い下げ地)内で石炭による火力発電(500Kw)を行い、近距離低圧直流配電からスタートしました。電灯会社としては全国で4番目でした。
 ‘91(明24)年に琵琶湖疏水の蹴上発電所が営業を開始すると、その電力を仕入れ、配電する体制に切り替えました。これを機に低圧直流を高圧交流へ転換するとともに、石炭火力発電も廃止しました(その後の電力需要増加に対応し、1900(明33)年に石炭火力発電を復活させています)。
 同社は、第2次世界大戦の戦時経済による電力統制で1944(昭19)年に清算されますが、それまでは京都地域の工場、会社、家庭への配電を担いました。また、大正年間には京都府下と福井県下で鉄道事業も行います。それを継承したのが現在の京福電鉄線です。

 会社設立の気運を高めた’86(明19)年からの好景気も程なくしてしぼみ、’90(明23)年には再び不況となります。その後再び会社設立が盛んになるのは日清戦争後ですが、その動向は次回に。

2013/11(マ)
*次回は「民間企業の興隆と経済人の活躍(その2)」

 【関連年表】
1872(明5)国立銀行条例施行
1873(明6)第一国立銀行が京都に支店開設(京都で初の国立銀行店)
1874(明7)自由民権運動始まる
1875(明8)政府による民権運動弾圧始まる
1876(明9)国立銀行条例改定で不換紙幣の発行を認める
1877(明10)西南戦争
1881(明14)10月 「明治14年の政変」で大蔵卿に松方正義が就任
1881(明14)10月 国会開設の勅諭(10年後の’90年を期して開設する)
1882(明15)官営工場払い下げが本格化、松方デフレ始まり国内不景気に
1882(明15)日本銀行創立
1882(明15)10月 京都商工会議所創立、初代会長に高木文平
1884(明17)京都株式取引所設立
1885(明18)6月 琵琶湖疎水起工式
1886(明19)国内景気回復へ
1887(明20)京都で会社設立相次ぐ
1889(明22)2月 大日本帝国憲法発布
1889(明22)7月 京都電燈会社が営業を開始
1890(明23)4月 琵琶湖疎水竣工式
1890(明23)京都織物会社が操業を開始
1890(明23)国内景気後退、不況へ
1890(明23)3月 旧民法公布(ただし施行は’93年まで延期、かつ部分的となった)
1890(明23)11月 第1回帝国議会(国会)開会
1891(明24)5月 蹴上発電所完工(11月送電開始)
1891(明24)京都商工会議所が京都商法会議所に改組(以後1929=昭4年まで)
1894(明27)7月 日清戦争開戦(~’95(明28)年5月)

【参考資料】
▽国立国会図書館近代デジタルライブラリー所蔵『京都府統計表』または『京都府勧業統計報告』の明治13年以後の各年版
▽小橋一郎『わが国における会社法制の形成』(国連大学・人間と社会の開発プログラム研究報告)1981年
▽京都商工会議所百年史編纂委員会編『京都経済の百年』(京都商工会議所)
▽京都市編『京都の歴史』第8巻・第10巻(學藝書林)

京都大学東南アジア研究所の施設の一部として現在も使用されている京都織物会社の旧本社

1887(明20)年認可、翌年設立の京都電燈会社は京都の有力企業として電力配電のほか鉄道事業も行ったが、第2次世界大戦中の1944(昭19)年に清算され、事業は関西電力株式会社などに引き継がれた(写真は現在の関西電力京都支店)


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